しあわせは
しあわせめいじん のところに
やってくる
しあわせめいじん は
しあわせな姿をイメージするのがうまい
しあわせは
しあわせを しんじるところに
やってくる
しあわせは
しあわせを イメージするところに
やってくる
しあわせをしんじよう
めいじんになろう
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ジャックのおかあさんが
いえの前に捨て巻いた豆が
一晩で巨木になった……
ジャックはその木を登って
天上に行き
お宝をもちかえって
巨人を退治して
幸せになる
おおあめ
かみなり
ちゅういしよう
おそらのおうさま
ないている
かみなりたいほう
みだれうち
くやしい なみだか
めでたい なみだか
視点を変えることさえできれば…
視点を変えることさえできれば
……こたえにたどりつける
視点を変えることさえできれば
……問題点がわかる
視点を変えることさえできれば
……発明できる
視点を変えることさえできれば
……仲直りできる
視点を変えることさえできれば
……おもしろくできる
視点を変えることさえできれば
……生きていける
視点を変えることさえできれば
……たすけられる
ただ ただ 視点さえかえられれば…
たかが視点…
だけど、その
視点が簡単には変わらないから
なにごとも大変なのだ
視点を変えることも
訓練で上手になれるのかな…?
さいきんわたしのマイブームは「論理」☆
「論理的」というのがとてもおもしろい
「理論 りろん」ではなくてね
「論理 ろんり」ね
「理論的」と
「論理的」は音が似ているせいか
このまえの日曜日にも
テレビで間違えて話していた
ちょっと紛らわしいよね
でも本当は「理論的」と「論理的」とは
ぜんぜんちがうのだ
なにせ「理論的」というのは「実践的」の対語なのだ
例文をあげれば
「「理論的」にはそうかもしれないけど 「実践」してみないとわからないよ」
などというわけだ
論理的の方も例文をあげれば
「君の「論理的」な話に説得されたよ」
とかいうわけだ
今日 日本で 裁判員法がスタートするのだ
さて、この道はどんな道になるのだろう…
いずれにしても できるだけはやいとこ
「論理的」な話に強い日本人たち
にならなくちゃな〜〜
と思うのだ
地面は
ひろーいキャンバス
絵の具なんていらない
棒がいっぽんあればいい
無限にひろい 自由なキャンバス
雨に風に 消されてしまうから
どんな名画が描けたところで
残らない
そうなんだよね…
すっかり忘れていたけど
地面というのは
最高のらくがきキャンバスだったよね…
いま
こうしているあいだも
宇宙ステーションにいるなんて
すごいなぁ
それにそもそも
宇宙に
宇宙ステーションを
つくっちゃうなんて
すごいなぁ
宇宙ステーションに
おやさいがとどいたりするんだって
なんだか
とっても すごいなぁ
あたまの中に
植えたタネが
芽を出して 枝を伸ばして
葉が展開して 花が咲いて
どんどん育つ
育ったものを
取り出して
定着させる
問題は
取り出して定着させるのが
難しいことなのだ…
なんとか
もっと
ずっと
スペシャルに
あっという間に
取り出したいのだ
もっともっと
短時間に
確実に
取り出したいのだ…
わたしは
子供の頃から
足に合う靴が無くて 苦労が多かった
魔法つかいに 足にぴったりの靴を
つくってもらうという シンデレラの設定が
かなりうらやましかったものだった
そして同時に
もしもシンデレラ姫が
わたしのように
足に合っていない靴を履いていたら
王子さまの探し方では
見つけてもらえなかっただろうなぁ
なんて
思ったものだった…(^^;
なんでもさ、
ほんの少しでも
先に知っていると
なんだかえらい
先に知ったか
後に知ったかの
ちがいだけなのに
ふしぎだね
あつい…
あついから冷房をつける
さむい…
さむいから着込む
あつい…
あついからうすぎになる
さむい…
さむいから着込む
あつい…
ぬぐとさむいから
きたままでいる
もっとあつい…
あついからうちわであおぐ
されでもあついから
やっぱり薄着になる…
さむい…
こんな一日だった
ぜんぶひとつの箱にいれてある…
というのは
とても混沌としているじょうたい
“ぶんるい”してある…
というのは、とりあえず整理されているけれど
それでも
かなり混沌としているじょうたい
体系的に
ならべてあるのは
とっても すっきりしているじょうたい
みつけやすいし
わかりやすいし
りかいしやすいし
おぼえやすい
きょうは
たくさんのがざいを買った(ような気がする)
かみと えんぴつと ぺんと
えのぐと ふでと
けしごむと はさみと のりとか…
もっといろいろ はいっている
道具箱みたいなものを買った(ような気がする)
しかも それが かるくて
わたしでも らくに もちあるけて
外でも描けるのだ(まだためしていないけど…そのはず)
まったく すごい
もうちょっと
正しく言うと
携帯デバイス用の お絵かきソフトを
ダウンロードしたのだ
画材がどんどんかたちを変えていって…
あたまに思い描くだけで
ものができあがる時代になるのは
いつかなぁ
まちどおしいな〜
(さいきんそればっかり言ってますね…(^-^;)
作品が次から次へと
あたまの中に どぼとぼ生まれるときがある
それが昨日からとまらない
一昨日触れた作品がよかったのかな
作家仲間と飲んだお酒が良かったのかな
どぼとぼ生まれ出てきても
次から次へと(あたまの中で)変化するので
記憶にとどめることもままならない
まして描き留めることなんてとうていできない
こう言うときは
100枚の絵を諦めて1枚を描くか
ぜんぶの絵を(あたまの中で)ながめながら
一枚も描かないか
どっちかしかないのだ
今回はとりあえず
ながめている…
いつか、この中の1枚でも
仕上げることが出来ればいいな〜
と思いながら
このまえね
おちゃばたけにいってきました
しんちゃのいいかおりがしました
けんこうなおちゃの木をそだてて
新芽をしゅうかくして
おいしいおちゃをつくる なんて
かっこいいなぁとおもいました
えらいひとたちがあつまって
えらいひとたちでなければ
できないことをいっぱい いろいろ
やっている(らしい)
でもさ、“とってもよいこと”を
やっている(らしい)のにさ
なんだかぼくたちは
ぜんぜんふれられないんだよ
それって
そもそも
“とってもよいこと”を
しようとおもった
しょしんどおりの けいかくなのかなぁ
どこかで
えらいひとたちのための
“とってもよいこと”の道に
まがっていっちゃってるんじゃ
ないのかなぁ?
すすむべきだったほうこうと
あってるのかなぁって
ぎもんだよ
ツアーがきらいな教授がさ
24回のツアーをするのって
りっぱだな とおもうんだよ
そうやって
よいことに
みんなが
直接ふれられるのって
すばらしいとおもうんだ
ぼくは どっちをえらべばいいんだろう…
こっちはどうしても ぼくがえらびたいもの
こっちはどうしても ぼくがえらばなくちゃいけないもの
う〜〜ん
だから ぼくはどっちもえらべない…
こまったなぁ
こまったなぁ
…
両方えらべばいいんじゃねえのか?
えっそんなことできるの?
そりゃ
できるだろ
ふつう
「つらいから逃げるのではない。
逃げるからつらくなるのだ」
ウィリアム・ジェームズ
ほんと そうですよね〜
逃げずに立ち向かって、
たとえちいさなことでも
ひとつ動かせば
そのぶん楽になりますものね〜
少しずつでも動かし続ければ
いつかすべてから解放されますのよね〜
でも、、、、
逃げるつもりはないのに
他のことがらに拘束されていると、だんだん、だんだん
追いつめられて…
やっぱりつらくなりますわよね〜(^^;
そう言うときは
自分がいっぱいほしい
…などと無理なことを
思ってしまうものなのですよね〜(^^;
(↑あ〜、逃げてる 逃げてる)
もうひとつ言うと、
やる気があると つらくないですよね〜
楽しければ
けっこう大変なことだったとしても
あんまり つらくならないですよね〜
ロボットになって
感情の起伏にふりまわされずに
働き者になるのは
おまえの勝手だがよ
カラダ壊したら だれかにあやまんのか?
あやまってむのか?
すこしは
てめーで
てめーのカラダ いたわれ!!!!!